日時:
2018年 7月21日(土) 16:30 開演(16:00 開場)
場所:
東京文化会館 小ホール
(JR上野駅「公園口」)
問合せ先:
日本ヘンデル協会
http://www.handel-institute-japan.org
主催:
日本ヘンデル協会(会長 金澤正剛)
助成:
芸術文化振興基金
(公益財団法人)三菱UFJ信託芸術文化財団
東京文化会館小ホールが満席になりました。多くの来場者をお迎えして上演することができました! (7月29日 記)
チラシ下の ”続きを読む”をクリックすると、プログラムノート(「本作品におけるダンス」より抜粋)をご覧いただけます。
プログラムノート(浜中康子 記)24頁より
今回の《アリオダンテ》では、第1幕13場「ニンフと羊飼いと羊飼いの娘たちの踊り」(Ballo-Musette Ⅰ, Ⅱ-Allegro)と、第3幕最終場<宮廷>(Gavotte-Rondeau-Andante Allegro)に振付を行った。
これらの楽曲に対する振付が記されたもの(舞踏譜)は現存していない。ロンドン及びパリ・オペラ座で活躍した花形ダンサー、マリー・サレ(Marie Sallé 1707〜1756)を、舞踊家としてヘンデルが起用したことだけが伝えられている。オペラ《リナルド》のロンドン公演(1717)に10歳で出演したサレにヘンデルが目を留めたことが二人の出会いであった。年月が過ぎ、1734〜35年にかけて《アリオダンテ》の他にも《忠実な羊飼い(改訂版)》《テレプシコーレ》《オレステ》《アルチーナ》の振付・舞踊はサレに託されている。またフランスの画家ランクレは、サレの踊る姿を描いている(資料2)。数々のランクレの絵画からは、パストラルな情景とともに、ミュゼットの音楽が聴こえてくるような気がする。
《アリオダンテ》が初演された頃、フランスではルイ15世時代に入って伝統的バロックダンスのスタイルが少しずつ様相を変えはじめ、ステップは複雑化し、それを記号化することは困難であること、また振付の美学の主軸にシンメトリーの美という考えのみを置くことに対する反発も起こり、舞踏譜の存在意義が問われる状況となった。
そのような過渡期にあるとはいえ、フランス貴族スタイルの伝統は、少しずつ新しいものが加わりながらも受け継がれていたのではないかと思う。サレは、パリ・オペラ座に30年間最高の女性ダンサーとして君臨したフランソワーズ・プレヴォ(1680 or 1681〜1741)の弟子であったと伝えられている。プレヴォの名前は、舞踏譜の中に踊り手として記された作品が数種残されており、まさしく舞踏譜全盛時代に活躍したダンサーと言えよう。
以上のことから、私は今回の振付に際し、ルイ14世時代に活躍した振付家ペクールや、前述のラベの振付を、現存する舞踏譜を通して参考にしている。果たしてサレは、どのような着想で振付を試みたのか、ランクレの絵画を見ながら想いを馳せる。